
▲スースの街の売店。この
横には蒼い海が広がってい
ます。
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ブルーとイエローのラインが美しい列車は、チュニスから2時間程でスースに到着。
まるで、そのまま「世界の車窓から」の世界(実際、私がチュニジアに来る前に「世
界の車窓から」の取材スタッフが来ていたらしい)。スースはリゾート地として知ら
れている。地中海を望むビーチ沿いにホテルが立ち並び、そしてお土産物やさんや、
レストランなどが並ぶメインストリート。やはりリゾート地のたたずまいというもの
は万国共通なんだね。道には横断幕がかかりおそらくなんかのインターナショナルフ
ェスティバルのお知らせがされている。お土産物やさんの店先には観光客向けのポス
トカードや、地図とか、サハラのバラ(後で説明)とかが並んでいる。ポストカード
は、わざとなのか、セピア色した印刷で(それとも日焼けしてたのかしら)、いかに
も異国情緒あふれていた。さて、今回のホテルはちょっとモダンです。プールもある
し、一階のカフェもなんだかアメリカーンな香りを感じる。なんだかほのぐらいフロ
ントには、英語もOK!と書いてあるので、久しぶりに英語でもつかってみるか、と話
しかけてみた。フロントのアラブ系のヒゲの濃いお兄さんは、フレンチなまりなのか
アラブなまりなのか、非常に聞き取りづらい英語でのお返事でした。私の語学力も問
題だろうけれど、もしかしたら、英語OKとか書かないほうがよろしいかも?
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チュニジアのホテルはこれで2軒目なのだけど、共通していえるのは、増築改築を繰
り返したせいか、一階がくねくねとまがっていたり、ちょっとした段差があること。
しかも薄暗い。うっかりすると迷ったり、つまづいたりしてしまう。個人的には、照
明はほのぐらいほうが好きだけど、こういう作りのホテルの場合は、もう少し明るく
てもいいのになーって思いました。ホテルのレストランは、夜にライブやパフォーマ
ンスがあるのが売り物で、その夜は、どうも魅惑的なベリーダンサーがやってくるら
しく、ポスターがあちこちに貼られていました。友はすっかりそのポスターに魅了さ
れている様子。後でわかったのだけど、この街では、ベリーダンスというのは結構人
気のショーらしく、街のあちこちで、いろいろなタイプのポスターが貼られていまし
た。これももしかしたらイスラムの男性の精神鍛練のひとつなのかしら?とまたもや
悩める男性の心を心配してしまう私でした。
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▲床屋さんの中のテレビを
みる人々。私も一緒にのぞ
いてみました。

▲道ばたで、店番をしなが
らお絵書きをしている親子。 |
荷物をおいて、すぐに街を散策。まずは、スーク(市場)へと足を向ける。スーク
は、旧市街(メディナ)にあり、城壁でかこまれた中にいろいろなショップが並ぶ。
今でこそ観光客が普通に足を運ぶスポットですが、まんなかにモスクがあり、昔は要
塞の窓からおそらく銃身を構えたであろう光景が目に浮かぶ。夕焼けの始まる時刻が
近づいてきたせいもあり、メディナ全体が赤土色に輝いて見えた。市場の中には、ド
イツ人らしい白人の人々、アラブ人がほとんど。日本人はもちろん私たち以外には誰
もいない。お土産物屋さんには、チュニジアに入ってからよく見かける、ちょっとへ
んな顔をして妙に心を惹かれる木人形、剣、木工もの、そしてガラスの香水瓶、イス
ラム模様が美しい陶器、そして大きなランプのような形をしたもの(.....これはシー
シャといって、水煙草用のでっかいパイプだった)などがたくさん。アゲパンを小さ
くしたような甘くておいしいお菓子や、ダーツという木の実(プルーンの仲間と私は
にらんだ)などを売っているかと思えば、日本ではもう見なくなったような昔ながら
のテレビやラジオを売っていたり。たぶん、上野のアメ横でも場所によって売るもの
が変化するように、ここの市場もみやげものコーナー、お菓子コーナー、野菜コーナ
ー、などいろいろに分かれていた。私は友がいるから心強いが、ちょっと角を曲がり
そこねると、なんだかそのまま二度と現世には戻れないような雰囲気のコーナーにで
っくわし、そこには人もいず、そのままUターンする、ってこともあった。城壁の中
にできている街だから、少し迷路のようになっていて、おそらく昔はそれで敵をまい
たのだろう。案の定、私たちも簡単に"まかれ"てしまうのだった。また、ある場所で
は、なんだか店の前に人だかりがしている。一緒に店の中を覗いてみると、その店は
床屋さんで、皆で、そこのテレビを見ていた。私自身は原体験はないけれど、昔日本
も街頭テレビで、力道山の活躍なんかを見ていたということですから、同じですね。
そのとき皆がみていたのはサッカーだったと思う。また隣の角では、店先で男性がお
孫さんと思われる可愛い男の子とお絵描きをしていた。友が男性に話しかけてみた。
「お孫さんですか?」「ちがうよ、こいつはおれの息子さ。名前もプティというん
だ」。つまり、英語でいうと、なんとかジュニアと名前をつけるようなものですね。
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▲私に似ているというタコ
くんーポセイドン。 |
さて、楽しい市場を離れて、今度は、タクシーで、隣町エルカンタウイへ。エルカン
タウイは港として有名で、シーフードのおいしいレストランがたくさんあるという。
スースから少し北の方角に位置する。港から運河づたいにちょっとした散歩道になっ
ている。この街はなんとなくスースのちょっと上品バージョンといった様相である。
外にでているテーブルもなんとなくヨーロッパ。パラソルもブルーと白のストライプ
だし、ウエイターの方々もボウタイに白のシャツをきりっと着ててきぱきとサーブし
ている。カフェやホテルのサインなどもきちんとデザインされている。しかし! そ
んな街なのに、なぜか、運河沿いの一番目立つところにタコ君がいた。タコ君は、か
ぶっている帽子にポセイドンと書いてあるところから、海の神様なのでしょうし、お
そらくシーフードが有名だからっていうんでタコが選ばれたのでしょうケレド、でも
なぜ?っていう妙に愛嬌のあるキャラクターでした。日本では結構いろいろな観光地
に「?」っていうようなキャラクター像があるから馴れてはいましたが、そんな日本
人の私もちょっとびっくりの存在でした。(友が、私と似ているとよろこんで撮った
写真をみてください。似てますか???)
タコ君が見えるレストランの外の席で一休み。ここでチュニジアに入ってから好んで
飲んでいる「ブッハ」というイチジクからできたお酒をまたいただきました。これに
はもう参りました。お酒の種類はよくわからないけど、たぶんブランデーみたいなも
のなのかしら。そのまま氷もいれずに飲むと本当においしい。店でブッハを頼むと、
小さなボトルが運ばれてきます。だいたい飛行機の中ででてくるワインの小さなボト
ルくらいのサイズかな。それが不思議なことに(というか、想像に易く)ボトルはし
まっているのに、中身の量が少しずつ違っているのよね。なんか酒工場の人々の大ざ
っぱさ、なのか。それを売る側も買う側も気にしない風土っていうのか。とにかく気
に入りました。ブッハは結構度数があるので、キュっと飲むと身体の中がほわーッと
暖かくなって気持ちよい。日が暮れると一気に寒くなるチュニジアではもう離せない
存在でした。夕暮れどき、持っている洋服を全て重ね着して、そして外のカフェでブ
ッハを飲んで暖をとる。そういう時間が、旅のかけがえのない思い出だったりするん
ですよね。
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さて、翌日は、早起きして電車で、エルジェムへ。エルジェムは、古代ローマのコロ
シアムがあることで知られている。ローマの遺跡というとだいたいの人はイタリアに
あるものと思うとおもうけれど、実際は、ローマ帝国は、地中海を挟んで広がってい
たので、ここチュニジアにもたくさん残されている。初日に回ったカルタゴもそうだ
ったけど、修復されながら、きちんと9世紀ごろとかに建てられた建造物を保持して
いる。エルジェムにあるコロシアムは、その中でも必見の価値ありの見事な遺跡(今
でも充分使えそう)でした。駅からなんとなく茶色ぽい街を10分くらい歩く。道の両
側にはちょっとしたカフェ風の店、デリっぽい店、おみやげものやさんが並ぶ。角を
曲がると、道の先に大きなコロシアムの壁が見えた。入り口でチケットを買って早速
中に入る。そういえば、ここチュニジアでは、美術館や遺跡などのチケットは皆共通
のフォーマットだった。たとえば、カルタゴ美術館、アントニウスの共同浴場跡、カ
ルタゴコロセウム、エルジェムコロセウム.....といった具合に場所の名前が並んで
いて、あてはまる場所に、パンチが入っている(たぶん、日本で昔車掌さんが持って
いたあの入鋏みたいなもので)。きっと、ヨーロッパの観光客が回るルートに則して
つくられているのか、チュニジアとして是非海外の方にみてもらいたいオススメの場
所なのか。でも、とても効率的だし、わかりやすい!。チュニジアは、いろいろな農
作物の輸出にも力を入れているけれど、でも土壌が乾燥している砂漠地帯がおおいた
め、やはり観光にたよらないといけない状況だ。小さな国だし、どちらかというと地
中海沿岸の街というとモロッコ(カサブランカ)の方が有名なせいか、それほど日本
の人にはなじみはない。私自身も友が初めてチュニジアへの赴任が決まったという知
らせをきいたときには地図で場所を調べたものだ。今でこそ、ワールドカップのおか
げで、チュニジアの知名度もあがり、ツアーも増えたようだが、まだまだこれから人
々に知らせていかなければいけない場所だと思う。言葉の違い、文化の違いがあるか
ら、誰でもすぐにフリーで行けるというわけではないだろうが、チュニジアは、私の
中でもなるべく多くの人に言ってもらいたい!と思う国のひとつだ。....といって
も、日本人の団体客が押し寄せている様子はあまり想像したくはないけれど。
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▲1853年のらくがき。
いつの次代も変わらないも
ののひとつ。

▲エルジェムでうってい
た絵葉書。色がしぶい!

▲こちらも絵葉書。最近の
もの。
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さて、エルジェムの遺跡は本当に見事だった。円形のまわりの壁は全て、複雑な形で
階段がつくられていて、だんだんと上に上れるようになっている。ときには、階段の
段差がとても大きいものや、途中で行きどまっているものがあったり、通り抜ける穴
が小さかったり。きっとこれも敵が侵入したときのかく乱作戦のひとつなのだろう。
日本の城もそういうような工夫が凝らされているものもあるから、戦の時代の知恵は
どこでも一緒なのかもしれない。一緒といえば、遺跡の壁に、観光客が掘ったと思わ
れるいろいろな名前と日付がいろいろな言葉で書かれていた。日本の観光地にもよく
あるようなものだけど、私がみた中で一番古い年号は、1853年だった。それでもあー
なんだついこの前じゃん、って思うぐらいこの遺跡は長い間存在しているのだ。
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コロセウムの壁を一番上までのぼりきると景色はもう最高だ。外側に座るとエルジェ
ムの街が一望できる。中側は、階段状の席になっている。部分的には後に修復された
ところもあるらしい。競技場といっても別にスポーツマン精神でさわやかに戦うわけ
ではなく、映画「グラディエイター」にでてくるように奴隷同士、または、敵方の捕
虜と獣など、とにかく決死の戦いである。戦いの場となる円形のスペースの中ほどに
段差がつくられていて、奈落のように下の階が抜けてみえる。説明をよむと、どうも
下の階には、トラとかライオンとかを放していて、戦いに負けたものをそこに落とし
たらしい。おそろしい....。今は、その奈落にはロープがはられ、中におちないよう
になっていたが、のぞき込んだだけでクラクラと吸い込まれそうになってしまった。
また別の階段をおりると下の階には独房があった。そこには戦う順番をまつ奴隷たち
を閉じこめていたらしい。歴史というのものはいろいろな血が流されていることで進
んでいるということは頭の中で理解はしていても、実際に、そういう場に足を踏み入
れ、それも単なる観光客としている自分は、とても複雑な気持ちになってしまう。
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いろいろな思いが交錯しながらもエルジェムをみ終え、目の前のカフェで休憩。カフ
ェのおじさんが、すぐに近くによってきてなんだかんだと質問してきた。私にはさっ
ぱり何しゃべっているのかはわからなかったが、友が明るく受け答えしていて、なん
だかとても仲良くなってしまった。とにかく日本人が珍しかったのか、アラブ語で、
私の名前と友の名前を書いてくれた。どこからどこまでが一文字かもわからないアラ
ブの言葉。でもひとつの絵のようで美しいものだ。そして、またおじさんとパチリ。
どうもアラブの人は、女性に腕を回すときにとっても力を入れるのがくせなのかもし
れない。この優しいおじさんも私の腕に手をまわし撮影される瞬間にギュッと力を込
めた。
ここから次目指すのは、ガベス。チュニスにつぐ、商業都市という。友の仕事場、お
よび住居もこの街にある。ガベスは、広大なサハラ砂漠に入る玄関ともいえ、砂漠の
中のオアシスがある街でもある。訪ねるのが楽しみであったこのガベスに向かう、そ
の前に、私には大きな試練が訪れるとは....。
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▲エルジェムの内部。まん中の奈落の両側に奴隷たちが、
閉じ込められていた跡が ある。
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